ダーツの歴史
ダーツの原型は、その形状からも分かる通り、狩猟に用いられた弓矢が起源となります。現在の得点システムの原型となった正確な起源は不明とされていますが、有力視されているのが、今から約700年前(14世紀〜15世紀)のイギリスとフランスによる百年戦争の時に、酒場にたむろしていたイギリス兵士達が余興で空のワイン樽の底に素手で矢を投げて遊んだのが始まりです。
しかし、当時は戦争中だった為、ワイン樽は貴重なものでした。そこで、ワイン樽の代わりに輪切りにした木を使うようになり、さらに手で投げやすくする為に矢を短く改良していきました。
この輪切りにした木はやがて乾燥によって放射状の亀裂(ひび割れ)が出来、もともとあった年輪と合わせることで今日のダーツの得点システムの基が確立されていきました。そして19世紀末になり今日の得点システムが確立しました。
1900年代には空前のダーツブームとなります。その頃イギリスでは運に左右されるスポーツをパブ内では禁止という法案が出され、ダーツも規制されることになりました。
そして1908年のヨークシャー州で、パブのオーナーであるフット・アナキンが裁判に出頭するよう命じられた際に、ダーツボードの法定持ち込み許可を求めました。そして判事の見守る中、ダーツは運によるスポーツでは無いと証明する為に20のダブルに3本命中させました。これに驚いた判事は「もう一度やってみなさい」とアナキンにリクエストし、アナキンはもう一度20のダブルに3本命中させました。
これを見た判事は「ダーツは運によるゲームでは無い」という判決を下しました。これがダーツ史に残るフット・アナキンの判決です。この歴史的な判決の後、ダーツ全盛時代へと流れていくことになりました。アナキンさんありがとう
この頃までは前述のように輪切りの木のボードが使われていましたが、ボードに刺さりやすくする為に矢に水を付けていた為、時間が経つに連れ、木のボードが傷み、悪臭が発生するのが難点でした。
この問題を解決したのが、イギリスのノドア社です。ノドア社は船舶用ロープで使われるサイザル麻を圧縮してダーツボードを1935年に世に送り出し、一般的に広まることとなります。
このサイザル麻を使ったダーツボードをブリッスルボードと呼び、このブリッスルボードの登場により現在の得点システムとダーツボードが揃うこととなりました。そしてこのブリッスルボードは矢が刺さる衝撃音が少ない為、家庭用練習ボードとして現在でも購入することが出来ます。
現在、主流のエレクトリックダーツは1980年代になって、アメリカのメダリスト社が自動計算機能とビットと呼ばれる矢が刺さる穴の開いたプラスチック製ダーツボードを開発しました。エレクトリックダーツはそれまでのスティールティップダーツではなく、プラスチック製の安全なソフトティップダーツで行うものになったのです。
当初はダーツが有料ということが中々受け入れられませんでしたが、自動計算機能の便利さとソフトティップの安全性から徐々に人気が高まっていきました。
日本でもメダリスト社の「スペクトラム」が登場するとゲーム性と心地良い効果音から人気が集まり、ダーツ人口が爆発的に増え、現在も増え続けています。
2004年にはセガサミーグループの株式会社ダーツライブがネットワークを介し、オンラインで対戦出来る「ダーツライブ」を運用開始し、ダーツ人口の増加を後押しする形となっています。また同社はアイドルグループのAKB48とコラボした企画など、積極的なプロモーションで人気を博しています。